語る、志村朋哉〜Takuji’s Friend〜

投稿者:

研修6日目にして初の日本語授業!の前に私たちが外でお昼ご飯を食べていると、先生2人と志村さんらしき人が隣に。ただ思っていた以上に見た目が若くて、本当に寺本先生ことTakujiのFriend?と思ったのですが、どうやら間違いないみたいなので、お昼ご飯に同席させてもらいました。サングラスを掛けていらっしゃったのですが、会話の合間に見える笑顔がそれはまあ眩しくて、こっちがサングラスをかけたいくらいでした。初対面の私たちにも気さくに話し掛けていただき(お寿司までいただき)、この後の授業が楽しみになりました。

食べていたお寿司をねだってみたところ、快く分けてくれた志村さん
左右からすかさず手指消毒を勧める先生たち あたしそんなに汚い?

そして始まる午後の講義。

大谷翔平さんを追うジャーナリストとは聞いていたので、どんな話を聞けるのかと興味のある授業の1つだったのですが、想像していたライフストーリーと異なり、普段の授業は基本寝てる私が、気づいたら聞き入っていました。基本的プロフィールや詳しい活動内容は志村さんの著書やYouTubeにてチェックしてみてください。

志村朋哉さんのHP https://www.tomoyashimura.com/
YouTube https://www.youtube.com/@ShoTimeTalk
著書 http://www.amazon.co.jp/dp/4022951680

シムタク初めての共同作業

ここからは私が話を聞いた感想、ジャーナリストに対し、私もジャーナリストとして質問した内容を書きます。私は4つの質問をしました。

返答からまず1番に感じたことは、やはり行動力・決断力・探究心(本人曰く知識欲)を軸に成形された人物であることでした。そもそも、この人からは負のオーラが一切感じられないなと思っていたのですが、なぜだろうと思った時に、何をするにもやると決めたことは最後までやり抜いてきたからだと思いました。

1つ目の質問

Q.その探究心、決断力はどこから?

A.やりたい事をやっているから。石の上に三年も座っていられないタイプだから、興味があるものにスポットを当てている。

志村さんの人間性を感じる例を挙げるなら、「大学新聞記者時代に、アメリカではマイナーな女子バレー部を取材の担当になった時は、シーズン全60試合に足を運び、毎回選手・監督へのインタビューを必ず行って、記事を書いた」というエピソード。

私もスポーツ部に所属していたので分かりますが、そんなことをするのは熱狂的な親だけです。それも全試合欠かさず取材を行うというのは、行動力と探究心以外のなにものでもありません。自身が活動されているYouTubeチャンネルの話の時も、野球のコアな話しか載せないことや、楽しいことをやりたいという気持ちを大事にしているので、現在は動画発信の頻度は少し押さえ気味になっているとのことでした。それはそれで良くて、「なぜならば今は子供との時間を大切することが楽しいと思っているからそこに時間を費やすのが最善だから」、と仰っていました。

ここでもそうです。要するに、志村さんは本当にやりたいと思って始めた内容が、時間が経つにつれてボヤけるくらいなら、今やりたいことにシフトチェンジするという考えを持っているのです。本当にやりたくて始めたことを抜かりなく探究するので、一つ一つ成果を出しながらシフトが出来るということです。逆に、中途半端に1つに決めきれず色々と手を出す人は、引き際が分からなくなりどれもそれなりの結果にしかなりません。その時の自分の興味を全て注ぎ込めるトピックスを選ぶ事ができるというのも、志村さんから感じる、彼の決断力を構築している部分であり、容易に真似できるものでは無いなと思いました。

今日から私の座右の銘は「石の上に三年も座ってられない」にします。渋〜

2つ目の質問
Q, アメリカに行かなかった世界線の自分は、何をしていたと思うか。
A. サラリーマンもしくは教師。

日本からは出ず、記者はしていない。これは私も同感です。地歴公民をイラストを使って教えてきそうだし、営業職で部署のNO.1の実績を持っていそうです。多分あの謎の陽のオーラと眩しい笑顔で営業されたら、壺とか定期購入すると思います。

3つ目の質問
Q. 日本人として名前が広がり活動していく中で、それが足枷となることはあったのか。要するに差別的反応をされたかどうかですね。
A. 体格など物理的な面以外のそういった印象は受けなかった。もしくは自分が鈍感だったから気づかなかった。聞こえてこなかったのかもしれない。

意外というのは良くないのかもしれませんが、当時は今ほど日本が海外に認識されていた訳でもなく、色々な面で劣っていると思われがちなイメージがあったため、驚きました。私はここでも志村節を感じました。自分の存在を一人の人として自分の中で認識が出来ていない人は、未完成な自分を完成させるために他人の意見を求め過ぎてしまい、またそれを取り入れ過ぎてしまいます。
これが、他人の目を気にし、耳を傾けすぎるという事です。志村さんは「気づかなかった」と仰っていたのですが、自分が個として確立している、そしてそれを認識しているから気にしなくてよかった。「聞こえなかった」というよりは、「聞く必要がなかった」のです。(上から目線すぎ?)

4つ目の質問
Q. アメリカの女性と日本の女性、付き合いやすいのはどちらか。
A. 日本の女性。区別する意味ではなく、海外で活動しているが、主は日本人であるという事を理解してくれる人の方がやはり生活しやすいから。日本の話を共有できるから。

奥さんが日本人だと話の中で仰っていたので、どうしても海外の女性と言わせたかったのですが、察したのか何か焦っているのか。多少目が泳いでいたのは見逃しませんでした。
これは私生活が気になる所ではありますね。引き続き取材しようと思います。

最後に、他の学生がしていた質問への回答の中で、私が1番共感した事。
Q. 帰国子女として日本に帰国した時に感じる周りとの価値観の温度差について。
A. やはり同調圧力のようなものは幼いながらに感じ、自分の要素を少し削ってそこに適応出来るようにしていた。正直息苦しさを覚えていた。当時は笑いに変えていたが、今思えば自分を削らず自分の合う場所にちゃんとハマることが大事だったと思う。

私は帰国子女でも何でもないですが、とても共感を覚えました。きっとみんなから見た私は、一言で表すならまあ「ギャル」。こんなこと言うと本物のマンバギャルに怒られそうですが、実際それが一番言われる私の印象です。たしかに自由だしテキトーだし、志村さんが「時間やルールは絶対に守る事が大事」と仰った時は、私に言ってるのかと焦ったくらいには、全てにおいてルーズです。ちょっと目が見れなかったですもん。

そのため、何も考えていないように思われがちなのですが、実際そんな事はなくて、私がこの「押しの強いギャル」の雰囲気で、「今からこれやるから。」って言ったらみんなそれに否とは言えないですよね。別に自分がそんなに影響力のある存在だと言いたい訳ではなくて、怖いじゃないですかシンプルに。172あるし。

だから自分が自由であるために、人に合わせて雰囲気をスイッチしているわけです。「ギャル」として受け取ってもらった方が、お互いに楽だからそう発信しているだけであって、中身はずっと私のままなので、当然自分を切りかえたからといって傷ついたりマイナスな気持ちが無くなったりする訳ではないんですね(逆もまたしかり)。私は、自分より歳が10も20も上の人と話す事が好きなのですが、何となくその理由がわかった気がします。

その人と時代も経験値も歳も違って、価値観を合わせる方が難しいから、何かを削って話す必要が無いんです。歳が近い人と話す時は、別に気を遣うわけでは無いけれど、こう受けとってもらった方が過ごしやすい、というのを優先してしまっているんですよね。

自分としてはこれが1番楽な生き方だと思っていたのですが、今日の話を聞いて、私も自分を削ってしまっている部分もあるんだなと思いつつ、社会や表向きの自分を主として生きる場面では必要な力だと思うし、現状に適応する力が変に長けてしまったな〜、なんて話を聞いて思いました。難しい話ですよね。〜真面目でてる〜

学生に戻って芸能活動したいなと思う志村さん

私は才能という言葉で片づけるのが好きでは無いので、志村さんの魅力は全て自身がなされてきた努力や行動、判断から来ているもので、それが国際的に通用するものになっているという何かを感じました。きっと潜在的な何かもあると思いますが、それを自主的に掘り起こして使いこなせるかは本当にその人次第なのだと思います。

話は混線しましたが、共感する面が多く自分を見つめ直す良いキッカケとなりました。
志村さん、本日はお忙しい中、足を運んで下さりありがとうございました。!!
また貴重なお話が聞けることを楽しみにしています!!

by ことみ(「ダイヤモンドの原石」志村さん談)&なつき~Takuji’s Student~

追伸:普通に語りすぎだけど、病んでないから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください